
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ](Amazon)
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ](kindle電子書籍)
※※本記事ではネタバレ?や内容に関する部分に触れています。なかなか総括するのが難しい内容でしたので、簡単に要約したようになっていますが、興味がわいた方は書籍を読んで理解を深めることをお勧めします。物語としても面白い本になっています※※本記事は8000文字くらいあるので注意です※※
概要
世界的に有名なフロイト、ユングと並ぶ心理学の巨頭アルフレッド・アドラーの思想を「哲学者と悩める若者」の対話形式でわかりやすくまとめた本。
正直、アドラーの名前も欧米では有名な思想だということも知らず、なんとなく有名な本だということで読みました。読後、「いま、ここ」で読んでよかったと思える本でした。読むべき人は、劣等感や焦り、人生の目標についてイメージがわかない状況にある人だと思います。私は、適応障害で仕事ができなくなったときにゆっくりゆっくり読みました。
対話形式で話が進むのは、最初は読みにくいと思ったが、少しずつ2人の性格が明らかになってくるにつれて読みやすくなってきます。芝居がかった二人の対話にも実は意味があります。書籍のあとがきを読んでみてください。納得します。フロイトやらユングやら日常生活では縁のない名前も出てきますが、逐次わかりやすく説明してくれるので専門知識も不要です。気軽に読めます。
全体の構成
5章(書籍の表記は第〇夜)に分かれていますが、それぞれの章のテーマを絡めながら、アドラーの思想が繰り返されます。アドラーの思想自体はかなりシンプルですが、わかりにくい部分もあるため、各テーマを切り口として登場人物の二人が議論してくれ、章を読み進めるごとに読者にも思想の内容が頭に定着する感じでした。私も章を追って感想を記録しようと思います。
第一章 フロイト的なトラウマ概念の否定
恥ずかしながら「トラウマ」(過去の体験により今の性格や行動が作り出されている)がフロイトの唱えたものだということも知らず普段に言葉として使っていたのですが・・・心理学では原因論というそうです。
第一章ではフロイト的なトラウマ(原因論)の概念を完全否定。トラウマ(原因論)は現代においては 原理原則のような当たり前の考えになっていると感じるし、自分も当たり前のようにその考え方を受け入れていることに気づきハッとしました。じゃあ何が今の性格や行動を作っているのかな?
アドラーによれば、今の性格や行動は、「その人自身がそう望んでいるから」そうなっているのだそうな。書籍での例ですが、例えば、誰かに粗相されてその人が怒鳴った場合:「怒りの感情(原因)にかられて大声を出したのではなく、大声を出して相手を委縮させる(目的)ために怒鳴った」となるそうです。これを目的論というそうです。
このようなアドラーの目的論は、「我々は皆何かしらの”目的”に沿って生きている」という原則に基づいています。フロイト的なトラウマ(原因論)の概念では、ある意味、外部要因(トラウマ)によって性格や行動が決定付けられていると見ることもできますが、アドラーの目的論では完全なる自由な可能性をその人自身が持っているという考えのようです。
ある意味、今の性格や行動を外部要因(トラウマ)のせいにしているフロイトよりも厳しい哲学なのではないかとこの時点で感じました。そしてその直感は読み進めるごとに当たっている気がしてきました・・・
第二章 全ての悩みは対人関係の悩みに帰結する
アドラーによれば、全ての悩みは対人関係の悩みに帰結するそうです。直接的な人間関係だけでなく、自分の中にある劣等感は常にほかの誰かや、想定された誰かと比べることによって我々を苦しめるからです。私は最初等感以外にも悩みはあるよな?と思い、あまりピンと来ていなかったんですが、以下、いくつかの劣等感についてのパターンを説明されることによって結構納得することができました。
どんな悩みも劣等感(対人関係)が原因
アドラーによると、悩みには個人だけで完結するものは存在しない。本に出てくる例には、身長が低いという悩みに対して、他者と比較して自分が劣等感を勝手に感じているから苦しいのだとしている。
ただ、人生とはなにか?など、一見劣等感と無関係のように見える悩みはどうでしょうか?本ではしっかりとそこについての説明はなかったのですが、突き詰めると他所と比較して自分が人生をうまく生きられていないという劣等感につながるからなのでしょうか?まあ、たいていの悩み(苦しみ)が対人関係(劣等感)が原因だというのは納得しました。
「劣等感」と「劣等コンプレックス」
また、アドラー思想では、「劣等感」という言葉と「劣等コンプレックス」という言葉を使い分けています。
劣等感とは、他人と比べることによって我々を苦しめる主観的な思い込み。
劣等コンプレックスとは、「自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態」のことを指す
例えば、「私は学歴が低いから成功ができない」など因果関係がない(必ずしも学歴が高ければ成功するとは限らないのに)ところに因果関係を見せかけて自分を納得させるという倒錯した精神状態のこと。・・・まさに自分への言い訳ってことですね。
自慢ばかりする人のメカニズム
また、この劣等コンプレックスのダメージを埋めるために自分よりも優れている他のものと自分を無理やり結びつけることによってあたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ることを「優越コンプレックス」としている。・・・スネ夫みたいな行動ですね。僕は学歴が高い知り合いがいるんだぞ~!僕ってすごいな~!的な。
これが、「自慢をする人が劣等感を感じている」ということを説明している。
不幸自慢のメカニズム
また、劣等コンプレックスと優越コンプレックスは繋がることもあり、劣等感そのものを先鋭化させることによって特異な優越感に至ると「不幸自慢」になる。不幸であることによって特別であろうとして、「不幸である」という一点において人の上に立とうとする。・・・私ってかわいそうでしょ?特別に大事にしてよね!ということですね。
この場合は優越感に浸るために自らの不幸を必要としているため、永遠に不幸から逃れられないことになる。
自分も悩んだことがあるものが多い
この辺りの考え方は、ドキッとさせられるものがあった。実は私は、若い時は不幸自慢に陥っていた時があったと思う。今も、毎日のように劣等コンプレックス(言い訳)はあるかもしれない。ただ、劣等コンプレックス(言い訳)をやってしまっても空しいだけで永遠に満たされないとは薄々思っているので、劣等コンプレックス(言い訳)に陥りそうな時(例えば自分が家庭と仕事の両立に悩んでいる時に出世をどんどんしている独身の同僚とか)は、自分が持っているかけがえのないもの(例えば子供)のことを考えることでなんとか救われている。でも、苦しいは苦しいです。
気になったのは、こういう心理はどう捉えればいいのだろうだろうか。「成功を納めた人を羨む時、その人の経験したであろう苦労などを考えて妥当な成功だと自らに言い聞かせる」という心理は? ・・・これも結局は劣等コンプレックス(言い訳)の一つのような気がする。どちらにしろ悩んでしまっているので・・・
「お前の顔を気にしているのはお前だけ」
アドラー思想では、対人関係の軸に「競争」があるから、人は対人関係の悩みから逃れられず、不幸から逃れることができないそうです。そして必然的に劣等感が生まれてくる。幸せそうにしている他者を心から祝福することができない。それは対人関係を競争で考え、他者の幸福を自分の負けであるかのようにとらえているから。・・・「お前の顔を気にしているのはお前だけ」なのにね。てことですね。
「人生のタスク」
しかし、競争から解放されれば他者の幸せを心から祝福できるようになる。アドラー思想では、「人生のタスク」(課題)と向き合うことで達成できる「目標」を達成することで、悩みから自由になるそうです。目標は以下行動面と心理面でそれぞれ2つずつあります。
行動面の目標として、①自立すること ②社会と調和して暮らせること
心理面の目標1として、①私には能力があるという意識 ②人々は私の仲間であるという意識
上記目標を達成するために向き合う「人生のタスク」とは、3つの種類の人間関係を営む事です。(わかりやすいように本書と表記を少し変えました)
①仕事上の対人関係 ②友人との対人関係 ③愛(家族・恋人と)の対人関係
人生の嘘
アドラー思想では、様々な言い訳を設けて上記の人生のタスクを回避しようとする状態(勇気がない状態)を「人生の嘘」と呼びます。・・・例えばわかりやすい例として、仕事上の対人関係を避けるために引きこもりになる、家族との対人関係を避けるために仕事漬けになる、など・・・
人生の嘘をやめるには、何が与えられているか、ではなく、与えられたものをどう使うか(所有の心理学ではなく、使用の心理学)という姿勢でいかないと乗り越えられないようです。・・・そこに勇気がいるということですね。確かに・・・
しかしこれだけだとただただ頑張れ!というような一方的な精神論になってしまいそうです。
第三章 対人関係の悩みとどう向き合うか
精神論にならないよう第3章から具体的な考え方、「課題の分離」を提示してくれる
第3章の題は、「他者の課題を切り捨てる」となっている。
アドラー心理学の大前提は、他者から承認を求めること(承認欲求)を否定することだという。承認欲求は賞罰教育が元となっている。賞罰教育は、褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしない人間が生まれる危険性を抱えている。
我々は他者の期待を満たすために生きているのではない。では、なぜ生きているのか?他者の期待を満たすために生きているのではないのであれば、他者もまたあなたの期待を満たすために生きているのではないということを忘れてはいけない。だから、相手が自分の思う通りに動いてくれなくても怒る必要はない。これを課題の分離というそうです。
例として、仕事の目的が周囲の期待を満たすことになってしまったら、いつも周囲の視線を気にして評価に怯えるとても苦しいものになってしまう。・・・これは自分に当てはまると思った。耳が痛い話・・・
課題の分離とは何か
課題の分離とは?まずその課題に対して、「誰の課題なのか」を確認する。その課題が他者の課題だった場合は、踏み込まない。
誰の課題かを見分ける方法はシンプルで、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?で考えればいい。(例えば子供の勉強は結局子供自身のためなので、過干渉しない、など)ここでもその人を変えることができるのはその人自身しかいないという主張がされています。自らの人生についてできることは自分の信じる最善の道を選ぶこと。一方で、自分の選択について他者はどのような評価を下すのか?これは他者の課題であって、自分にはどうにもできない。というのが分離の考え方で、人間関係から自由になるための手段だそうです。・・・端的に言えばよそはよそ、うちはうちっていうのを徹底的に個人単位でやるということですね。
課題を分離するための、嫌われる勇気
ただし、よそはよそ、うちはうちでも、肝心のどう生きるか?というのを自分の好きなように決めることは極めて難しいと感じる人が多いでしょう。聞き手はこれを代弁して、他者からの承認が人生には必要だ、と反発します。ではなぜ他者の顔色を(自分が勝手に)気にするような不自由な生き方を選んでいるのか?
それは、結局誰からも嫌われたくないからだという指摘があります。ここで 本の題名が出てくる。
すなわち自由とは他者から嫌われることである
嫌われる勇気を持った時、対人関係は一気に軽いものへと変わるそうです。・・・確実に嫌われるという訳ではなく、嫌われたとしてもかまわないという心構えで、人の顔色を気にしないで自分は自分として生きる、ということですね。
第四章 対人関係のゴール
第4章は対人関係のゴール、「共同体感覚」について書かれています。
アドラー心理学の対人関係のゴールは「共同体感覚」と言います。共同体感覚とは他者を仲間だとみなし、そこに自分の居場所があると感じられること。
共同体とは自分以外の全てを指します。過去や未来、宇宙全体を含めているそうです。・・・かなり概念的・抽象的で理解するのは難しい。アドラー 自身も、到達できない理想だと認めていたそうです。
共同体感覚を理解するには 自己への執着を他者への関心に切り替えていくことから始まります。他者からどう見られているかわかるよう気にかける生き方は、私にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルと言える。結局自分がどう見られるかばかりを気にしている。(自己への執着)
共同体感覚を得るには、対人関係を「横」の関係にする
私は共同体の一部であって中心ではないということを理解するために、アドラー心理学ではあらゆる縦の関係を否定し、全ての対人関係を横の関係とすることを提唱しています。・・・縦の関係というのは、今までに出てきた他人との比較(競争)などですね。横の関係は完全にフラット、対等という意味のようです。
縦の関係を築くか、横の関係を築くか。これはライフスタイルの問題であり 人間は自らのライフスタイルを臨機応変に使い分けられるほど器用ではないから、どちらか一方しか選べない。逆に言うと、もしも誰か一人でも横の関係を築くことができたなら、あらゆる対人関係が横になっていくとも言える。
意外だったのは、叱ることだけでなく、褒めることも他者を操作しようとしている縦の関係だ、ということです。褒めることは能力のある人が能力のない人に下す評価であるから、人は他者から褒められるほど自分には能力がないという信念を形成していくため、褒めてもらうことが目的になってしまうそうです。では、具体的にどうやって横の関係を築けばいいのか?
横の関係を築くための具体的な方法
「勇気づけ」というアプローチを提唱していて、面白い意見だと思いました。具体的には、ありがとうと感謝の言葉をかわすことで自分が他者に貢献できたことを知ることができる。(すごいね、よくやったねと褒めることではなく)そして自分には価値があると思えた時にだけ人は勇気を持てる。
人は、私は共同体にとって有益なのだと思えた時にこそ、自らの価値を実感できる。
ここで、では貢献ができない人は自分の価値を実感できないのかという疑問が生じるが、他者のことは 行為のレベルではなく存在のレベルで見るのだそうです。
今ここに存在しているだけですでに他者の役に立っており、価値があるということです。
本書ではこの辺りで宗教的ではないかという議論がある。・・・私もそう思ったのですが、どうも無条件の愛的な考え方ではなく、存在しているだけで少なくともその分経済やその人に関するほかの何かに影響があるだろうということのようです。価値というより、存在しているだけで何かしらの意味がある、とした方がしっくりくるかもしれません。
第五章 「いま、ここ」を真剣に生きる
5章では幸福とは何か、人生をどう生きるかというテーマまで対話は続いていきます。
今までの話から、悩みは他者との対人関係から生まれるから、課題の分離をして劣等感をなくし、共同体感覚(横の対人関係)を持とうという流れだったと思います。
さらにここでは、上記を実現するためには自己受容と他者信頼そして他者貢献が重要という話になります。
自己受容
自己受容は仮にできないのだとしてもできない自分をありのままに受け入れ前に進んでいくことだそうです。例えば、60点の自分ならそれはそれとして受け入れ、100点に近づけるためにどうすればいいのかを考える姿勢。・・・課題の分離ともつながりますね
他者信頼
他者信頼は他者を信じるにあたって一切の条件をつけないこと、相手を疑わないこと。・・・これは難しそうです。信用ではなく信頼だそうです。信用は、何かを担保としてその人を信じるということ。世の中のほぼすべての「人を信じる」はこの信用で成り立っています。例えば、その人の社会的な権威や地位、金銭などの対価など。
ここでの無条件の信頼に該当しそうなのは、自分の子どもに対してくらいではないでしょうか。しかし、この信頼ができないと、他者と深い関係を築くことはできないとアドラーは言っているそうです。
ここ、ヒントとして課題の分離が出てきます。他者信頼で重要なのは、「信頼した結果どうなったか」ではなく、「わたしがどうするか」だけだというのです。課題の分離で、仮に裏切られたとしても、「あなたは裏切った」でも「私は信じた」そして、結果によって相手との関係を断ち切るかも自分の課題なので「わたしがどうするか」は自由です。・・・大事なのは、自己犠牲とかではなく、あくまでまずは自分が信じた、ということですね。この姿勢がないと、他者と深い関係が築けない、と。
他者貢献
他者貢献とは、私を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ私の価値を実感するためになされるものだそうです。そしてここで、アドラー思想にとっての幸福が示されます。
幸福とは貢献感である。誰かの役に立っていると感じること。貢献感が自分自身で持てれば良い。
ただし、承認欲求を通じて得られた貢献感には自由がないということです。・・・褒められるために、何かするということですね。
普通であることの勇気
貢献感だけが幸福なのか?名声や成功を目指すことは幸福の追求ではないのかという問いがあると思います。そこで、普通であることの勇気がでてきます。 普通であることは無能ではない。というか、アドラー思想にとって、(結果としての名声や富を含む)一般的な人生には、意味がないということです。(・・・難しい!!たいていの人はそこに幸福を求めますよね)
ダンスを踊るような人生
なぜ名声や富には意味がないのか?アドラー思想にとって、人生は線ではなく、線だと思っていたものが拡大すると連続する小さな点であるように人生とは連続する刹那であり、刹那の中にしか生はないそうです。・・・今、この一瞬一瞬しか確かなものはないということですね。
なので、計画的な人生は必要か不必要かという以前に、不可能という見解です。目的地を到達点とする人生ではなく、ダンスを踊るような、旅の過程を楽しむような人生であれば、今ここだけを真剣に生きるべき。
つまり過去にどんなことがあったかなどは今ここについては何も関係がなく未来がどうであるかも今ここで考える問題ではないということ。フロイト的な原因論に立つと人生を因果律に基づく大きな物語として捉えてしまうが、それに囚われることで自由に生きられなくなるそう。・・・つまり、人生設計もキャリア設計も、人生には必要ない(というか不可能)とのことです!
人生における最大の嘘。それは「いま、ここ」を生きないこと。
過去や未来を見たつもりになって「いま、ここ」から目を背けること。(・・・完全な思考停止や放棄、ということですね。あ~~耳が痛すぎる!)
今できることを真剣かつ丁寧にやること。(・・・真剣だけど深刻ではない。できていないからといって落ち込むのではなく、ここでも課題の分離や自己受容が重要です。60点なら60点で受け入れて、次どうするか考えるという姿勢)
思考停止(人生の最大の嘘)に陥りそうなときの助け
人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだそうです。でも、人生の意味が分からなくなるとき、どう進めばいいのかわからなくなることも多々あると思います。その時、「導きの星」さえ見失わなければ迷うことはないし何をしてもいいとのこと。
導きの星とは他者貢献。
世界を変えるのは自分自身
世界とは他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえないという結論で締めくくられます。
まとめ
耳が痛い話が多すぎて、すごく引き込まれました。すでに薄々感じていたこともあったし、新しい知見もたくさんあり、それらを対話としてシンプルな理論を何度も切り口を変えて議論していることで、深い理解ができたと思います。
アドラー思想をものすごく強引にまとめると、私の人生は私のもの、だから私の人生の価値は私が決める、ということですね。・・・・だけなんですけど、それを実践するにはアドラーとの対話が必要だと感じました。それを補ってくれるのが、この本の役割なんですね。
著者の岸見一郎さん、古賀史健さんもあとがきで、対話から理解・発展していく哲学を重要視されていて、そこでこの対話形式となったと書かれています。
最後に、本の中に、「アドラー心理学を本当に理解して、生き方まで変わるようになるにはそれまで生きてきた年数の半分が必要になるとさえ言われています」と出てきます。
ぜひ本を読んでみて日常の中で実践しながら理解されることをお勧めします。私も今後の考え方がよりクリアになり、悩みが減りそうな気がしています。

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続編 幸せになる勇気 も読みました!
嫌われる勇気を読んだ後に読むことで、さらに理解が広く、深まる本となっています。
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